「六月の雨」フォークディオ究極との出会い。
今日、沖縄地方は梅雨入りをした模様との事です。この時期になるとある曲がラジオや有線放送から31年間の長い歳月を経ても今なおリクエストがある。その曲名は
「六月の雨」です。
「六月の雨」という曲は聞いたことがあるが、このフォークディオの名前をしらない人は多いと思いますが「究極」と言います。この二人と出会って、既に33年にもなるのですが、昨年ボーカルの垣花繁雄が7月28日に亡くなって3回忌となりました。
「究極」は、33年前に現在のジュンク堂書店のある沖映通りから58号線向けに少し行ったビルの2階にライブを聞かせる店「フォークメイツ」があり、格闘家になっている高校時代の友人がフォークが大好きだったので案内をした店で出会いました。
確か新婚旅行で沖縄に来たのではと記憶していますが、何せ32年前の事なので、記憶があいまになっています。その店で偶然ライブをやっていたのが「究極」の二人でした。
僕は、彼らが歌っている古井戸の「何とかなれ」の迫力に驚かされ、酔っていたとはいえ、二人を席に呼んで「デビューする気はある?」と尋ねたら、即「是非!宜しくお願い致します。」との答えが返ってきました。ライブの余韻も手伝ってとんでもない約束をしてしましました。後日もう一度会おうと言って、その日は別れました。
翌日、二日酔いの頭で、昨夜のことを思い出して、明日、那覇タワーの回転レストランで会うとの約束を思い出したのですが、さて、どうしたものかと・・・。
実は、喜納昌吉とチャンプルズをデビューさせたのは良いのですが、全くの収入が無い。キャンペーンで全国を回っているのですが、キャンペーンなのでギャラが発生しない。
喜納昌吉とチャンプルズは移動にも大勢で移動する。業界用語で「あご足枕」は準備されているとはいえ、メンバーにも生活がある。そして、僕にも同じことが言える訳なのですが、コザの諸見里にあった僕が寝泊りしている事務所兼用のアパートの家賃も電話代も払えない始末で、兎に角、別の収入を得る為に現在の芸大の前で立ちんぼをして日銭の労務の仕事をする為に、コザのアパートを引き払い首里の桃原にある友人宅に転げ込んで居候していました。もう音楽の仕事はこりごりと考えた矢先に、酔った勢いとはいえ、また、同じことを繰り返してしまうのではなかと、呆然としたことを今でも思い出します。
まあ、兎に角、もう一度、二人に会ってからどうするか決めればよいと思い、那覇タワーに行った。その時、初めて「究極」の中山仁と垣花繁雄の二人の真剣な態度と真っ直ぐに眼差しに、当初、断ろうかと思っていた気持ちが揺らぎ、この二人の夢を我がものとして、共に夢の実現に向けて歩む事を決めました。二人はまだ、浦添高校3年でした。
トロピカルギルドレーベル「六月の雨」を発売して、それを売りながらの自転車操業で沖縄縦断ライブコンサートがスタートいたしました。
多くの人々との出会いの中で、今も忘れられないのが、沖縄NHK勤務のディレクター磯部氏との出会いです。沖縄縦断コンサートの過程を30分間のドキメンタリー番組として放送していただいた。「音楽野郎の再出発」といったタイトルだったと思います。
その放送を何よりも喜んでくれたのが、垣花繁雄の両親とおばあちゃんでした。
丁度、32年前トロピカルギルドレーベル 究極「六月の雨」が発売されました。
ユーチューブに
「六月の雨」が動画としてのっています。コメント欄に当時のフアンだった方のコメントが載っており、そのコメントを読みながら「六月の雨」を聞きました。
多くの皆さんに感謝!そして、ありがとうございます。
垣花繁雄の冥福を祈り。合掌