斎藤(平良)悌子デビュー

高橋進

2021年01月25日 00:13



かつてアメリカ占領下の沖縄でジャズシンガーとして名をはせた歌姫が現在、石垣島で暮らして いる。米軍基地内で生演奏を任されたジャズバンド「齋藤 勝と Crazy&Cools」のボーカルを務 めた齋藤悌子さん(85)=宮古島出身=だ。フルバンドの生演奏とのセッションで磨き上げたたお やかな歌声は今も健在。きょうも大川のカフェタニファに通い、ウクレレサークルの仲間たちと音楽を楽しんでいる。  
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齋藤さんは宮古島出身で、旧姓は平良。那覇高校3年生のころ、恩師から「米軍基地で歌う ジャズシンガーのオーディションを受けてみないか」と勧められ、見事選抜に合格。将来の夫であ る齋藤勝さんがバンドマスターを務める「齋藤 勝と Crazy&Cools」のボーカルに抜てきされ、 以来約9年間、ジャズの本場を知るアメリカ人を前に舞台に建ち、堂々たるジャズスタンダードを 披露し続けた。  石垣島でライブハウス「プロデュース海」を営む佐久川広海さん(76)は当時、那覇市に住み、 ジャズ音楽の世界に魅了された青年だった。佐久川さんは「数いる沖縄出身の歌手の中でも、齋 藤さんと小浜島出身の與世山澄子さんはジャズ界のツートップ、まさにレジェンドだった」とうっと りとあの頃を思い出す。  

齋藤夫婦の長女・敦子さんが石垣島に移住したことに加え、もともと勝さんが大の石垣島ファン だったこともあり、1989年に齋藤夫婦も石垣島へ。敦子さん経営のカフェレストラン「エンジェル の海」で、二人でジャズを披露する幸せな日々が続いた。

しかし1995年、勝さんが急逝。突然の別れだった。「どんな音楽を聴いても夫を思い出し涙が あふれる」。悲しみから歌を歌えない日々が 10 年ほど続いたという。  

どん底にあった齋藤さんの心を癒やしたのは、石垣市大川のカフェ「タニファ」との出会いだった。 オーナーの栗原政宏・房江夫婦を慕い、タニファには日々さまざまな趣味人が集う。思い思いに 音楽を楽しむ温かい人たちの輪に身を置くうち、齋藤さんの心に少しずつ、「また歌いたい」という 気持ちが湧いてきたという。  

いつからか、ウクレレ演奏を楽しむ人たちに混じり、一緒に歌い、合奏するようになり、生来の 朗らかな笑顔も戻ってきた。今ではウクレレ仲間から「本当にパワフルな人。若い人から元気をも らうどころか、むしろこちらが元気をもらっている」と言われるほどはつらつとした笑顔を見せる。 07 年年には、プロデュース海主催のライブ「齋藤悌子、石垣の秋にうたう スタンダードとシャン ソンに酔いしれて」で、復活した歌声を披露し、観客を魅了した。 今年「ミルクウナリ」などで知られるミュージシャン・日出克さんがプロデュースし、カバーアルバムを発売予定だ。
 
「歌が元気の源」と話す齋藤さん。毎朝6時に新栄公園で発声練習をしたあと、ラジオ体操をす るのが日課だ。「タニファの仲間たちと出会えてよかった」。人生の出会いに感謝し、きょうも大切 な仲間たちと愛しい時間を重ねている。



斎藤悌子カバーアルバム「チューバー・ハイブリッジ・レーベル」より発売決定!

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