66回目の慰霊の日を前に 具志堅隆松

高橋進

2011年06月22日 10:21

糸満市にあるコミュニティーFM FMたまんの6月のビタミンエフエム沖縄元気塾!のゲストは「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんをお迎えして3週に渡りお話を聞いた。昨年の6月末に発売された「ウチナーパワー」の中で具志堅代表をインタビューを掲載したのだが、この「ウチナーパワー」で全国の田寺という姓の方に呼びかけたのだが、まだ、名乗り出るかたは無かったと番組の中で具志堅代表は残念そうに答えた。

6月11日(土) 遺骨収集にみる沖縄戦の実相

◇ガマフヤーの活動を始めた理由とは
具志堅:那覇市真嘉比に子供ころ住んでいたのですが、その頃の真嘉比は結構雑木林が沢山ありました。その雑木林で遊んでいると、野ざらしにされたヘルメットを被った日本兵の遺骨がほうぼうにあったのです。大人にその事を聞くと、いずれ、その遺骨を収集して埋葬する人がくると聞いていた。だが、何年経ってもその日本兵のヘルメットや遺骨はそのままの状態で置かれていた。時がた経つとともに朽ち果てて行く。人が死ぬと、肉親や縁者によってその遺体は丁重に葬式を済ませ埋葬される。しかし、この野山に朽ち果てた日本兵の遺体は、野ざらしにさらされ朽ちて行く。事実にどうしょうもなく悲しい思いをしました。

日本兵の遺骨を発掘し、どの様な状態で亡くなったかを具志堅さんが再現した)


高橋:具志堅さんと初めてお会いしたのは、この幼少期を過ごした真嘉比で、路上生活者の生活支援と遺骨収集作業を組みあさせる事によって賃金労働を作ることを目指して活動していた拠点ともいえるプレハブ小屋で具志堅さんとお会いした。その当時、僕は「ウチナワーパワー」という本のコラムを書いていたのですが、その取材に具志堅さんの活動するモノレールおもろまち駅東口にあるプレハブ小屋を訪ねた訳ですが、当初、路上生活者の支援といったものに興味があり、そのへんの事を書こうかと思っていたのですが、今しがた、赤土の中から掘り出された頭蓋骨をバケツの水で丁重に洗って小屋の中に無造作においてある現場を見て、その考えを改め、具志堅さんの活動をそのものを焦点に当てて書く事にいたしました。

その時に、具志堅さんに託された事の一つに「田寺光紹」さんという方の肉親の手掛かりをとの依頼があったのですが、田寺さんの肉親は見つかりますしたか?

具志堅:残念ながら見つかりませんでした。東京都出身ではないかと…。そこまでです。

高橋:西原町の幸地の壕内で掘り出された場所に行ったのですが、道路を忙しなく行きかう車が通り過ぎるその隣に、どこにでもある風景の中にその壕があった事に驚きました。そして、建設現場で使う足場を組んで、その壕のある所まで上がっていったのですが、ブルーシートに覆われた一角に、遺骨がそのままの状態で横たわっている。その現場に立って、何とも言えない思いがこみ上げてきました。一言でいえば「不条理」といったことなのです。「不条理」とは、物事の筋道がとらない様とか、道理にそむくさまという意味なのですが。まさにその現場に立ったのです。

具志堅:国の命令で、妻子ある男性が招集され戦場に駆り立てられた。一家の大黒柱であった人かもしれない。あるいは、恋人同士であた人かもしれない。あるいは、兄弟であったかもしれない。その様な人々が戦後66年間も放置されている事実というのは、まさに、「不条理」だといえるのではないでしょうか。

◇遺骨収集からみる「沖縄戦」とは
具志堅:那覇市の真嘉比や西原町の幸地は、軍と軍との戦闘によるものが多くあります。それは、遺品や遺骨の状態などからも想像が出来るのですが、南部とくに、この放送局のある糸満市などは、軍民混在の戦場であった訳です。力の強い軍は、比較的安全な壕などに隠れていたのですが、そこを追い出された住民は、あの「鉄の暴風雨」の中を逃げ場を失い。女性が子供を抱いて、ほとんど隠れようがない岩場に頭を突っ込んで姿であったりと、「沖縄戦」の悲劇は、日本軍の南部撤退ということにより、軍民混在の戦争という様相を一層強めた結果といえます。

6月18日(土) 東日本大震災と沖縄戦(いのちの話

◇東日本大震災と沖縄戦
具志堅:東日本大震災があったほんの少し前に、電話で東京の取引先と話をしてました。先方は、地震だと言っていたのですが、その中、揺れが酷くなり、「具志堅さん避難をしなくっても良いのですか」と聞いて来たのです。沖縄は何ともない訳ですから、電話の先がどうなっているか見当もつかない。電話口の向こうでは、「逃げろ、逃げろ」という声が聞こえるのです。もしかしたら電話で話をしている状況ではないのかと思いました。一旦、電話を切って、落ち着いたらもう一度電話をしる事にして電話を切ったのですが、それ以降、何度も電話を掛けても通じなくなってしまった。そして、テレビを点けて観たら、現実とは思えない情景がテレビに映し出されていた。地震に続く津波が町や村を襲っている姿が映し出されている。逃げ惑う人々、津波が来た事すら知らず、車を走らせている人々がいる。その映像を見ていて、これは観ていていい映像なのかと、津波に飲まれた人は、今、息が出来ない状況なのだ。その時気が付いたのですが、住民が避難をした後ではなく、その現場を津波に襲われている。これの状況を考える為にテレビを消すのですが、沖縄は平和な午後なのです。しかし、テレビを点けると東北では津波に襲われている状況で、まぎれもない事実なのです。どうして、アナウンサーは、冷静にその現場を解説している。どうして助けに行かないのという疑問が起きてきました。しかし、助けると言ってもあの状況の中では、助ける側も危険な状態になる訳ですね。戦争ではないのですが、目の前に起きている現実を見つめるしか出来ないのです。

その状況を沖縄戦での遺骨収集活動をしている自分は何なのかという事を思いました。「沖縄戦」で亡くなった人々の亡骸を肉親に届けるといった活動と、今まさみ津波で亡くなりつつある人々に対して何も出来ない無念さを思いながら、「沖縄戦」とこの大震災の何か共通性のようなものを思いました。

沢山の人が津波に飲まれて息が出来ない状況にある事。津波という自然災害で生命を奪われている時に、アナウンサーが今、天国に召されているといった事を言ったのですが、僕は、その人々を死に追いやってはいけないと思ったのです。

◇いのちの話
ガマフヤーの活動を通じて、小学校などで講演会を依頼される事があるのです。その講演会の中で、遺骨収集をして解った事が3っありますという話をするのですが、1.人を殺すことは間違っている。2.自分が殺されるという事は間違っている。3.自分を自分で殺すことは間違っている。この3つというのは「沖縄戦」で全てやられたことなのです。1.の人を殺すことは間違っている。というのは、どんな国や宗教を越えて言える事なのですが、2番目の自分が殺されることを認めてはいけない。これは軍隊の論理とは真逆の考え方なののです。死を恐れないというのと自分が殺されるということをわざと軍隊では混同させている。「死を恐れない」というのは人間にとっても正常な知性の要求だと思っているのですが、殺される事を恐れないとは違うのです。自分を自分で殺すことは間違っているというのは、自分を自分で殺すといった教育をしたのは日本軍だけなのです。その様な組織を守る為に個を犠牲にする事によって組織を温存するといった体質を戦後も持ち続けているのです。「いのちを大切にしない」という別な意味で引き継がれているのではないでしょうか。それは、いじめといった体質と同じことなのです。確かに「いじめは間違っている」といった事と同じではないか。

6月25日(土) 慰霊の日を振り返って(予定)

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