5月5日(土)の糸満CFM「ビタミンFM」は先週に引き続き今井恒子さんをお招きしての2週目です。
①何故、起業したのか。
②夢を諦めない。
についてお聞きしたいと思います。
上京してなぜ起業したのか?
多くの方に起業について聞かれるのですが、女性経営者が少ないということと、IT関連の会社でまして女性が経営しているというはさらに少ない訳ですね。
1社目は不渡りで会社が倒産した。次の就職先が保育園の会計ソフトを作る会社だったのです。その時私は、SE(システムプログラマー)をしていました。このソフトの勘定科目名が変るということで、新しいソフトを作って欲しいと社長から言われました。この勘定科目名は直接オペレーターがパソコンを使って変更が可能だったのです。100社から既に注文を取っていたのです。その営業文句がこの新しいソフトを使わなくってはシステムが動かなくなるので新しいソフトの購入をといった内容のダイレクトメールを出していたのです。
しかし、既存のシステムで勘定科目を変える事が出来たのです。
多くのお客様から問合わせがあり、このようなご指摘を頂ました。
答える私はしどろもどろでお客様に対応いたしました。
突然、社長室に呼ばれて、社長から従来の会計ソフトに手を加えるのではなく、新しい会計ソフトを作って欲しいと依頼がありました。しかし、少しプログラムに詳し人からするとちょっと手直しすれば充分に使えるソフトだった訳です。その様なことを社長に言ったら社長は激怒しまして、既にDMで100通の契約を貰っているので、今までの会計ソフトではなく新しいソフトを作れと言われました。
その時、私は思ったのです。お客様を欺きだますような会社では将来先がないと思ったのです。
お客様に使ってもらってありがとうという気持ちがない商品やサービスでなくってはダメだと思ったのです。それと、その様な詐欺の片棒を担ぐような事はしたくなかったのです。
翌日、社長に辞職願いを出しました。
そして、会社を起業する時にこの二つの会社を反面教師といたしました。
辞職をして、次に人材派遣会社から仕事を斡旋してもらい仕事をすることになりました。
一緒に働いていたSEから忘年会のお誘いがあり、知り合いの女の子2名と一緒に出かけました。
コンピューター関連の仕事をしている人が集まっての忘年会です。その席にある会社の営業部長さんが居て
「今井さんこんなに仲間がいるのなら会社を起こしたらいい」と言われたのです。私は起業したら仕事を出してくれますかと言ったら「出すよ」と言ってくれたのです。念を押す為に同じ質問をしたら「仕事を出しよう」と言われた。よっしゃ!会社を作ろうと思ったのです。
忘年会の帰りに本屋に寄って会社の作り方という本を買って帰りました。当時、1000万円で株式会社が出来るのですが、1000万円は難しいので300万円だったら何とかなると思い有限会社を作ることに致しました。
本を買って、この様にすれば会社が作れるということを知ったのですが、実際には登記とか色々な書式の記入だとか結構難しいのです。
丁度その頃、息子の保育園のママ友から1年ぶりに電話が掛かってきたのです。
お互いの近況報告などをした後に、何か最近変ったことはないかという話題になり、私は有限会社を立ち上げたいと思っていると言ったら。何と彼女が勤めていた税理士事務所で1週間前に有限会社の立ち上げをしたので、解らないことがあったら全部自分が教えてあげると言ってくれたのです。
それで、彼女の力を借りて書式のチェックを全部してもらい有限会社を設立することが出来ました。
現在、うちで経理をしている女性が、当時パートを辞めてフリーだったのですが、彼女が法務局に行ったり、銀行へいったりして実務的なものを全てやってくれました。その時に一緒に働いていたSEの仲間達に助けられました。
会社の登記が終了して、忘年会の時にお会いした営業部長に電話をして報告したら、彼の方がビックリして
いました。
勤めていた会社が2度も倒産して、息子がまだ小さかったこともあり、自分はなんと不幸だなと思っていたのですが、その経験がなかったら起業する事もなかった。企業経営をしていく上でこの二つの会社の経験が非常に役に立ちました。
仲本先生に贈っていただいた言葉、「大きな会社よりも、いい会社を、いい会社よりも、楽しい会社」の言葉が心に染みました。
「ウミンチュの娘」の本の帯に書かれている『「こんな厳しい世の中、夢を語っている場合ではないよ」と冷たい声も聞こえます。それでも敢えて大きな声で言いたいのです。「夢を持ち続けなければ駄目だよ。あきららそこで終わりだからね」(本文「夢をあきらめない」より)
と書かれているのですが、この「夢をあきらめない」についてお聞きしたいのですが。
父の夢は学校に行きたかったということですね。先週お話をしたのですが学校に行けず糸満売りされた。一晩中祖父に土下座をしてお願いしたのですが父の夢は叶えられなかったのです。
それと、私には息子がいるのですが、運動神経ば抜群で成績の方は今一つだったのですが、中学校一年生の時にサッカーをやっていました。足も速くフォアードをやっていて点取り寛太と呼ばれる程だったのです。
今は19歳になるのですが息子の夢はプロのサッカー選手になることだったのです。中学校の時には海外遠征としてブラジルにまで行ったほどだった。高校の時は埼玉県のインターハイに選ばれて韓国へ遠征チームとして参加しています。ところが高校二年の時に新型インフルエンザが流行して、息子もインフルエンザにかかってしまったのです。その治療薬としてタミフルとかリベンザを服用したのですが、その投薬の後遺症で高校二年の時、駅で倒れてしまったのです。原因が解らないかったのですが、ある時、公園で自転車に乗っていて倒れた。倒れた時にそれまでの何をやっていたかという記憶がないのです。
その様なことが2~3度ありました。
病院に連れて行って調べてもらった結果、新型インフルエンザとその治療薬の後遺症だということが解りました。医師からサッカーなどの激しい運動を禁止されました。ドクターストップがかかったのです。
息子は何故自分だけこんな目に遭わなければならないのかと大声で泣いた事もりました。
息子にとってサッカー選手になる夢はあきらめるほかはなかったのです。
父は家庭の都合で学校に行けなかった。息子は病気でサッカー選手という夢を断念せざるおえなかった。
その息子が中学生の時にお母さんの「夢」はなにと聞いてきたのです。
大の大人に息子が聞いてくる。私はちょっと戸惑ったのですが、大企業の社長かなと答えたのです。
その時、息子が「お母さん夢をあきれめてはいけないよ」と言ったのです。「あきらめたら終わりだよ」と
言ってくれた息子が彼の夢だったサッカー選手になる夢をあきらめざるおえなかった。
私が15歳の時に父がダイナマイト漁で逮捕された。いとも簡単にダイナマイトが手に入る世の中がおかしいのではないか。沖縄戦の後遺症か沖縄に基地がある為に安易に火薬やダイナマイトが手に入る。漁師がダイナマイト漁の誘惑に手を染める。そんな不条理な世の中のことを15歳の時に強く思い。いつかこのことを本を出して訴えたいと思ったのです。あれから40年の歳月が流れたのですが、夢であった本を出版することが出来ました。
実は「ウミンチュの娘」の出版は昨年の予定だったのですが、色んな都合により今年に出版することになった。この本は今年出版したということに意味があるのではないかと思ったのです。今年沖縄は復帰して40周年を迎える訳ですね。
「ウミンチュの娘」は沖縄県ではジュンク堂で発売されているとお聞きしたのですが、注文方法はどのようにしたら本が買えるのでしょうか。
角川書店に直接問合わせを頂ければ送料無料で本を送ります。
問合わせ先は 03ー5211-5155 FAX03-5211-5252
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