東京紀行 Ⅲ 出会いの旅

高橋進

2013年05月09日 19:24

定宿にしている立川のホテルから立川駅へ、青梅線に乗り福島徹さんが経営しているスーパー福島屋
がある羽村駅へ。10時から1時間お会いすることができた。

福島さんに会いたいと思ったのは2年前にNHKで放送された仕事の流儀「プロフェッショナル」で、
原発事故による風評被害の中で苦闘する農家へ直接出向き、実際に現場を見、土に触れ、長年培った
農家との信頼に基づき、自分の経営するスーパーで自ら店頭に立ち福島産の米の販売の陣頭指揮を
するその姿に感動をした。いづれ東京へ行く際に福島さんにお会いしたいと考えるようになった。

福島徹さんは昭和26年、東京青梅に生まれました。家は材木問屋を営んでいましたが倒産。
貧しい少年時代をすごしました。両親が小さな雑貨店を開いたのは高校生の時。手伝いを始めた福島徹
さんにとって店を大きくするのが何よりも夢でした。大きな一歩を踏み出したのは37歳の時。銀行から
借りられるだけ借金をし、ついに大型の2号店をオープン。しかし、周辺にはライバル店が多く客を
がっちり握っています。開店の安売りセールが終わると客足はすぐに遠のきました。福島徹さんは懸命に
働き、1円でも安い仕入れのために夜明け前から市場で値段を交渉。1日売り場で声をからし、閉店後
は夜中まで棚を入れ替えていました。それでも売り上げは伸びませんでした。

次第に自信がなくなり客の顔をまともに見ることができなくなりました。そんなある日、近所の農家
からほうれん草が余り売り先を探しているという話を聞きました。チャンスだと思い福島徹さんは
急いで農家を訪ねました。詳しい事情は聞かず全てのホウレン草をタダ同然で買いました。
特売品で並べると儲けはどんどんでて、ホウレン草は何日も売れました。しかし数日後、福島徹さんは
売り場で「うまく儲けたな」とホウレン草農家の人に言われたのです。
これが福島徹さんに苦い記憶として残っているそうです。

そんな時、客から「新米を買ったはずが古い米が混ざっていた」と苦情を言われました。当時仕入れて
いたのは品種の違う米が混ざったブレンド米。本当に新米なのか仕入れた自分にも分かりませんでした。
「人に喜ばれる仕事がしたい」という思いがこみ上げてきました。福島徹さんは知り合いのつてを頼りに
信頼できる農家を探し届けてもらうことはできないかと山形へ。当時、生産者が直接米を売る産直制度が
始まったばかりでした。

福島徹さんたち小売はその補助的な役割が認められていました。客を生産者に紹介するだけで利益は
ほとんど見込めません。それでも人に喜ばれる仕事がしたかったのです。農家をまわり7軒から米を扱
わせてもらえる約束を取り付けました。そして店に戻ると客の一人一人に声をかけ、「品質はおりがみ
つきだ」と説明し300人分の予約を集めました。その年の秋、山形から米が届きました。
自分で探し良いと選んだ商品です。米を買った客は美味しかったと福島徹さんに次々と言いました。
福島徹さんは「大きく儲からなくても生産者と客をつなぐ、そんな商売をしていこう」と決めたのです。


福島徹さんとお会いしての第一印象は、スーパーの経営者というよりも、ミュージッシャンといった
感じでした。ブルージーズにスカーフを首に巻いたそのファッションに何だか親しみを覚え、まるで
古い友達にあったような錯覚なってしまいました。この印象と同じ感じを受けたのが、何年か前に
ソニーレコードの会長をして小栗さんとお会いした時も同じ印象で、僕はブレザーなのですが、
小栗さんはパンクロッカーといったいでたちで、もし、青山のツインタワーに本社があるのですが、
駅ですれ違っても全くお互いが解らないねと笑いあった時と同じ感じで、何だか、その雰囲気に
録音用ICレコーダーをセットしてインタビューという雰囲気にならなくなってしまいました。

話が脱線するのですが、小栗さんは、南さおりのデビューの際の出版社としてソニーレコードと係わり
その後、僕がプロデュースした喜納昌吉や究極の際の音楽出版社として、面倒をみてくれた方です。
南さおりデビューの際のソニー側が丸山さんで、後にソニーレコードの代表になり、その縁で小栗さん
が後見人として代表になった方です。

福島徹さんとお会いする際に、もうなぜ福島徹さんに会いたかったのかを自分自身に問い直しました。
あの放送から2年が過ぎ、あの時感じた感動から2年間の歳月が流れている。
「福島屋」のHPへアクセスし求人欄に目が止まった。
私たちの価値観の方向性
今、私たちの価値はどこに向けられているのでしょう!?
『過ごす』『過ごし方』『生き方』など、たくさんの情報の中から自分で選択し、自分の環境を創り、
その中で生きています。私たち福島屋は『食』という環境を、土や水、自然を踏まえ生産者の皆さん
との取り組みを通じ、地域の文化やその中に活きづく食を含め時代に則したスタイルに整えお伝えい
たします。

食の環境は自然環境や人々の生活環境、経済、文化、医療、などなど、たくさんの環境を鑑み整え
てゆくことがこれからの仕事として課せられています。そして、その仕事のビジョンは自然な状況
や多様性の中に見出すことが出来ると考えています。

たかが「食」されど「食」。 「豊かさ」って? そんなことを考え、追求しながら、楽しくWORK
したいと思います。

福島屋 会長 福島徹
福島徹さんの食に対する考え方は、「食」とは「人」が「良くなる」と書くという言葉を思い出しましたと僕は求人欄の文章を自分なりにアレンジしてノートに書いた文章を見せながら話を
はじめたのですが、この時点で既にインタビューのことを忘れていました。
話がなぜか僕自身の話になり、なぜ沖縄に住んでいるのか等々。

あっという間の一時間で、秘書の方に次回は2時間ぐらいお時間を頂き、インタビューをしたいという
旨を伝え福島徹さんの著作を2冊買って福島屋を後にしました。

東京での定宿は「ザ・クレストホテル立川」というホテルで、その朝食会場で偶然隣りに座った方が
絵描きさんの流郷由紀子さんで、彼女の個展のサポートをしているフレンチの巨匠西谷克己さんとお会い
することになる。そして、翌日、吉祥寺の東急インにチェックインする際にエレベーターで偶然お会
いしたのが心理カウンセラー徳丸結香さんであった。

「出会いの旅」はつづく。

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