2011年05月16日

大震災寄贈マークで全被災地の学校を支援しよう!在沖岩手県人会

5月13日(金)に琉球新報ホールで「沖縄から何ができるか」被災地支援でフォーラムがあった。先週、在沖縄岩手県人会美らめんこい会の副会長の神谷邦子さんが糸満市にあるコミュニティーFMたまんの~ビタミンエフエム~沖縄元気塾!に出演して頂き、その縁で声が掛った。岩手・沖縄かけはし交流会長の高橋洋介さんがこのフォーラムに参加する為に12日夜に沖縄入りして、その高橋洋介さんを囲んでの会食となった。
大震災寄贈マークで全被災地の学校を支援しよう!在沖岩手県人会
(後列左から2人目高橋洋介氏、前列左から2人目在沖岩手県人会会長加賀哲彦氏)



高橋洋介さんは、岩手県の現在の状況を「当初の緊急対策から生活再建という次のステージい移りつつある事」そして、「港には多くの家屋や生活道具、車や漁船やその道具類が沈んでいる。そういったものを海から撤去しなければ漁業が出来ない状況だ」「家屋や車などは重機で撤去すればいいと思われるのだが、そこには、まだ、発見されていたい多くの方が眠っている訳で、一つ一つ確認をした上で撤去するしかない。」その上で、漁業者の生活やこの地震や津波で職を失った二万人の離職者をどの様に支えて行くか等が今後の課題ではないかと語った。

既に、てぃーだブログや弊社HPで紹介しているのですが、「ベルマークを集めて被災地学校を支援を!」の運動を本格的に取り組む事を岩手県、沖縄県で実施する事などが決まった。それを受けて、14日(土)の番組ではこの「ベルマークを集めて被災地学校の支援を!」の放送をする事になった。ゲストは在沖岩手県人会事務局長菊池稔さんと県人会の比嘉みえ子さん、岩手県で被災し沖縄に避難している岩崎さん。そして、ベルマーク活動をしている神谷光子さんの4名をゲストとして迎えた。岩崎さんから地震のあった3月11日に何が起きたのか現地の状況を報告して頂いた訳だが、地震後、第一波が5m、第二波が十数mに達するなど緊迫した現地の状況が語られた。地震が起きて、その後、警告をするはずのサイレンや放送が全くなかった。地震直後に家から飛び出した人々が道路に出て、様子を伺っている状況の中で、岩崎さんは、地震後5分間で何があっても高いところに退避するを自分で決めていた。まず、外に出る為、防寒服を着、犬を連れて、実家の両親に声をかけ車に飛び乗り、直ぐに高台に避難を開始した。「両親は裏山に逃げたのですが、第一波はその両親の足元まで達していた」
「地震後、家の外に飛び出していた人々はどうなりましたか?」と聞くと「残念ながら全て津波にさらわれてしまいました」と岩崎さんは言った。

事務局長の菊池さんに、「今回の岩手県・宮城県・福島県だけではなく、被災地の支援には1年とか2年とかといった歳月だけではなく、もっと多くの時間が必要ではないか我々が出来る事はなんでしょうか」と質問すると、地震に続く津波といった3月11日から既に2カ月経過して、街頭募金などの活動では、もう何度も募金をしたとの声が聞こえる中で、在沖岩手県人会として、今後、ベルマーク財団が実施している「大震災援助寄贈マーク」の沖縄県での取り組みをPTA活動や職域での活動を積極的に呼び掛け、すべての震災にあった学校への支援を呼びかける運動を沖縄県で展開したいと抱負を述べた。

この「大震災寄贈マーク」について神谷光子さんから説明をしていただいたのだが、その途中で、スタジオ内の電話が着信。ストロボの光を点滅するそのシステムに、この説明もそこそこに、電話をスタジオに繋ぎ、リスナーからの応援メッセージを頂くとのハプニングが
あったが、一時間の生放送は無事終了いたしました。




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