2011年06月27日

郷土史として「沖縄戦」を記録していくこと 具志堅隆松

糸満市にあるコミュニティーFMたまんの6月の~ビタミンエフエム~沖縄元気塾!のゲストは「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんをお迎えして3週に渡りお話を聞いた。
6月25日(土)は「沖縄戦」体験者の高齢化にともなって「沖縄戦」の体験をどう継承し、次世代に「平和の尊さ」を伝えていくかについてお話を伺った。

◇郷土の歴史として「沖縄戦」を記録していく
高橋:66回目の慰霊の日を迎えた訳ですが、沖縄戦を体験した方々の高齢化が進んでいるのですが、「ガフマフヤー」の活動を通じて「沖縄戦」をどう継承し、次世代に伝えていくかということについてお伺いしたい。
具志堅:「沖縄戦」を地域で継承して行こうといった活動が少しづつですが芽を出しています。那覇市真嘉比で収集した遺品などを那覇市が管理し平和教育に役立てるといった例もあります。9月には、与那原町の運玉森の遺骨収集に真嘉比モデルというか、路上生活者の就労支援として、遺骨収集作業が始まります。与那原町側からはこの作業を記録し、郷土の歴史資料として記録係を配置するといったことなどです。いままでの遺骨収集作業というのは、土木会社に委託されて実施されてきました。それを市町村に委託させ、路上生活者の就労支援や郷土の歴史として記録に残すといった事業として、市町村に働きかけています。
最近の例として、浦添市経塚から前田一帯の都市整備が急ピッチに進んでいるのですが、その工事現場に行き、工事をしているすぐそこで遺骨収集を行いました。浦添市に遺骨と遺品を持って行き、遺骨収集をしてから都市整備をして欲しいと要望いたしました。浦添市も協力を約束してくれました。浦添市からも郷土の歴史として「沖縄戦」を記録し資料収集することになりました。収集した遺骨は遺品などから従軍看護婦の遺骨である可能性が高く、沖縄住民の遺骨ではないかと思っています。

◇DNA鑑定が可能になったことにより、遺骨収集は新たな活動段階に入った今年の2月に那覇市真嘉比で遺骨と万年筆が一緒に出ました。「くちかたせい」と言う名前が万年筆に刻まれていました。遺骨に名前が解るようなものを見に付けているというのは、非常に稀なのですが、遺骨を厚労省にお願してDNA鑑定をお願したのですが、1回目に骨からではDNA鑑定が出来ないとの事で、沖縄の様な亜熱帯の気候の土地では、骨からの時間的な経過でDNA鑑定は難しいと。それで、2回目は頭蓋骨にある歯を全部送りました。そうしたら歯からDNAが出たのです。「くちかた」さんの弟さんにあたる方のDNAを鑑定したところ、この遺骨のDNAが一致した。そして、その遺骨は弟さんに連れられて郷土の帰ることができました。
今まで沖縄戦で収集された遺骨ではDNA鑑定が難しいといわれて来たのですが、歯からDNAが検出されたということは、今までの遺骨収集の在り方を一変させる事を意味します。前回の放送で「沖縄戦」の悲劇とは、首里防衛から南部撤退といった事が、軍と軍との闘いから、住民と軍が混在する戦いになった。南部において強者の日本軍が弱者の住民を安全な壕から追い出し、住民は「鉄の暴風」にさらされて、多くの沖縄県民が犠牲になった。住民である沖縄人(ウチナンチュー)の肉親捜しが、DNAの鑑定が可能となり、両親を「沖縄戦」で失った方や、兄弟、親戚などのDNA鑑定をする事によって、今まで無縁仏として葬られていた方々の身元が明らかになることを意味しています。
7月に厚労省にこのDNA鑑定を国の責任で行って欲しいと要請をいたします。

具志堅:今までマスコミの取材に対して消極的だったのですが、このDNA鑑定の可能性が開けたということにより、一人でも多く「沖縄戦」で失った肉親の手掛かりになればと思っています。この事を伝える為に今年は「慰霊の日」のマスコミの取材に積極的に出演することに致しました。「慰霊の日」を過ぎると潮が引けたように取材がなくなってしまうのも、出演を躊躇する一因でもあったのですが・・・。

高橋:そういうこの番組も6月の特集として具志堅さんに出演をお願いした訳なのですが、3週間に渡り出演ありがとうございました。



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Posted by 高橋進 at 17:52│Comments(0)ビタミンFM
 
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