2011年09月26日

~希望・再生・祈り~漫画家しりあがり寿

~希望・再生・祈り~漫画家しりあがり寿

「あの日からのマンガ」『海辺の村から』より

NHKニュースウオッチ9を観ていた。漫画家のしりあがり寿さんのインタビューや彼の3.11以降の作品を紹介していた。インタビューの中で、しりあがり寿さんは「科学者は数値を出せる。政治家は政策を出せる。漫画家は何が出せるのかといえば、その時の空気を描くことが出来る」とインタビューに答えている。

3.11の時、うつむいて自分の周りだけの幸せを考えた人々が、東日本大震災や福島第一原発の事故によって、自分のことだけではなく、一斉に、顔を上に向けて、日本の将来に対する「不安」と向き合い、『希望』といった一条の光を求めた。大震災6ヶ月、また、人々はうつむき自分の周りの幸せだけを求め日々生活をし始めている現実に、せめて
顔を上に向け日本のありようや、被災地の人々の苦しみに寄り添い『希望』の灯火を燃やし続けたい。

ニュースを観ながら、不覚にも泣いてしまった。
福島原発の事故後に森が戻り、その跡地に風力発電のタワーが墓標のように立ち、その様子を天使達が空から眺めている。そして、最後のページには、津波の瓦礫の海底からハスが伸び、ハスの花から新たないのちの誕生で終わる。

何気なく観ていたニュースにこれほど心が揺さぶら、大声を出して叫び、泣きたい気持ちが溢れてきた。
~希望・再生・祈り~漫画家しりあがり寿

中国の雲南に住む友人からメールが届いた。

『祈り が 明日につながられるのか?ということです。

一筋の希望が 日本にどこまであるのか?
そのことを 実際考えています。
余りにも大きな難題で・・・農業と食品は 厳しすぎます。』

それでも、あえて「希望・再生・祈り」の続編を書かせていただきました。雲南の友人への返信です。

『希望、再生、祈りでは再生しない。確かにそうです。東日本大震災の被災者と今だ汚染をはき続ける福島原発を前に、なかった事にするといった下向きな顔がもたげている日本の空気の中で、やはり、上を向き、自分の身の回りの幸福だけではなく、日本の未来をどうするのかといったことを被災地の人々の暮らしを思いやり、未来について希望と再生を信じて語っていかなければと思います。

非常に難しいのは解っています。

「科学者は数値を出して、政治家は政策を出す。漫画家は今の空気を描くことでは」と言っているのですが、『科学者は本当の数値を出しているか、政治家は本当に日本の未来に対して希望が持てる政策を出しているか、そして、一般市民である自分は何を日本の未来を描くことができるのか』山本太郎が、9,18渋谷デモで言っているデモも大事、署名も大切だが、それでは日本は変わらないと。

直接、有権者として声を政治に反映させるべく、地元選出の議員に対して、福島の問題や原発の問題を突きつけて、答えを聞き、その結果、その議員を投票するかの決定を有しているということを自覚して、その権利を行使すること。

これが今、日本の未来の選択なのだと。僕も山本太郎の考えに同感です。

未来世代の責任とは何か。祈りでは問題は解決しない。しかし、この惨状を前に、希望・再生があるのかの問いに、希望・再生を信じてあの瓦礫の町から命の再生を祈らずにはいられないのです。』と。



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