2016年06月25日

60歳過ぎて論語を学ぶ3 「社会人最初の10年がベクトルを定める」

性(せい)、相(あ)い近し。
習(なら)えば、相遠し


《訳》
生まれたときは、誰でもにたりよったりで、そんなに大きな差はない。
その後の習慣や学習の違いによって、大きな差ができる。

銀座のわしたショップの創業者であった宮城弘岩さんとアジア沖縄経済研究所を設立した時のことです。
元琉薬の会長の成田さんと宮城弘岩さんの共同代表で僕は事務局長をしていました。

その時、宮城弘岩さんが言ったことが忘れられません。

彼の旺盛な知識欲と事業欲を支えているのは、「毎朝1時間の勉学だ」と聞かされた時でした。

人間 生まれたときの違いはほとんどない。社会人として働き始めた当初も、家庭環境や学生時代の勉学によって若干の差がでるものの、まだどんぐりの背比べと言っていい。しかし、そこから十年、十五年と実社会えで生きていくうちに少しずつ差が生まれ、気づいたときには挽回不可能な状態に陥ってしまう。

宮城弘岩さんから学んだことは、毎日寝る前のんびりと深夜番組を見てダラダラ過ごすか、寝る前に一時間必ず読書をする習慣を作るかに
雲泥の差が生まれるということだ。20歳でこのことに気づいた人が60歳になったとすればこの積み上げは自ずと知識量や思考力がけた外れに違ってくるに違いない。




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Posted by 高橋進 at 10:06│Comments(0)論語
 
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