2016年07月11日

60歳過ぎて論語を学ぶ 4 「評価される人間は自己研鑽を怠らない」

先週のビタミンFMで、糸満市に提出した私案を発表いたしました。
音楽がかかっている時に、僕の案について聴視者から電話が入りました。

「すごくいい案だけど役所向きではない」と。

その通りかもしれません。沖縄は復帰後十五兆円にのぼる予算を外発的発展に重点をおいた政策を実施してきました。
その外発的発展から内発的発展へ発想を変えるというのは、それこそコペルニックス的発想の転換ということになります。

僕が言ったかったのは、内発的発展をどう糸満市に芽生えさせるかということなのです。外から持ってきて雇用を増やす。
例えば典型的なのがコールセンターです。国・県から経営側に補助金を出す。その補助金が受け取れる期間だけ経営側はウチナンチューを雇うといったものです。

そういったものとは真逆な発想で糸満の最大の資源とは何かから突き詰めていく。そして、
それは、例えばサバニを作る技術を突き詰めていくと、最先端のヨットを作る技術に応用できる。
サバニは沖縄の漁には欠かせない漁船なのですが、そのフォルムを含めて独特の意匠と技術は沖縄以外にない。
特に糸満は、そのサバニを作る長い経験とスキルを持った船大工が今も活躍している。

ちょっと飛躍したイメージなのですが、アメリカスカップのレースの帆船が糸満漁港のドッグで作られ、その操船訓練が糸満漁港沖合で行われている。糸満の伝統と技術そして最新テクノロジーの合体のような夢のようなことが出来ないか等考えている訳です。そのようなプロジェクトが可能であれば、この帆船を作りそれを常に最高の状態で維持していくためのエンジニアーが必要であったり高度に訓練さた操船技術者が必要であったり全体をマネージメントする人が必要であったりと沢山の人が関わることが可能ではないかと言ったことを自由に発案でき環境が必要なのだと思うのです。














さて、今回は「評価される人間は自己研鑽を怠らない」

人の己(おのれ)を知らざることを患(うれ)えず、
己の能(のう)なきを患う


《訳》
人が自分を評価してくれないこと憂えつのではなく、
自分の能力が足りないことを憂えるべきである。

■批判の目は相手にむけず自分に向ける
糸満市の雇用と地域活性化の作文を提出してから何日後に面接をしてきたのですが、様々な質問があり、それに答えるといった形で進みました。どうも、最後の質問に旨く答えることができなかった。それは、担当者に内発的発展について具体的に説明できなかったっからです。
どうも、僕の言ってることが絵空事のようで、そんな事で雇用が生まれるとは思えないと言われ、イライラした気持ちと同時に相手に対して批判じみた感情が湧き起こってきたのです。

人は誰しも、自分に寛大だが他人に厳しくしてしまう性(さが)がある。そのために、周囲の評価と自己評価との間に差が生まれ、「評価されていない」などのネガティブな感情が芽生えがちだ。しかし、孔子は、そうした部分を改め、評価されないのは自分にそれだけの能力がないからだと思いなさいと説いている。

この面接の時のことを考えるとまことに恥ずかしい。相手に対してイライラした感情が起きた、それに即反応してしまったことに恥じ入るばかりだ。
七つの習慣の中で人は周りの環境に対してただ反応するのではなく、その環境に働きかけることによって影響の輪を作ることが出来るつまり、動物と人との違いはこの反応のしかたにあると説いている。

孔子は「其(そ)の善き者を択(えら)びてこれに従う、其の善からざる者にしてこれを改(あらた)む」と説いている。良いものを持っている人からその部分を積極的に学び、良くない人は反面教師と考えて学ぼといっている。

人に批判の目を向けてしまった自分に対して、自分は本当に人を見る目を養っているか。日々能力を磨く努力をしているだろうか。大切なのは相手に目を向けるのではなく、まず自分を顧みること。自己研鑽に励み、人を公正にみる目を養ってきた人物は、みなに畏敬の年を抱かれる。そしてその人物の真似をするようになる。本当の評価とは、そうして伝播してくものであろう。

孔子は、魯の国で重職に就いていたが、政治の乱れに絶望して魯を出る。弟子を連れ、仕官先を求めて諸国放浪の旅へ、、放浪をっはじめてから約14年(12年~13年との説もある)仕官を諦めて、魯の国に戻る。弟子の育成や著述活動に専念する。⇒「人知らずしていきどうらず」

自己を得るという永遠のテーマ

人は自分自身の^ことが一番見えない。その為昔から様々な学者が「自己を得る」ことの大切さを説いてきた。『論語』もまたその重要性を説いている。『老子』にも、「人を知る者は智(ち)なり、自らを知る物は明なり」という言葉があるし、ソクラテスも「汝自身を知れ」という言葉を哲学活動の根底に置いていた。

ゲーテもまた、「人生は自分探しいの旅である」という言葉を残している。

学問とは、「自己を得る」ために行うものだともいえる。



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Posted by 高橋進 at 17:43│Comments(0)論語
 
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