2016年12月14日
久米村と琉球王国
「久米村と琉球王国」 主催:公益社会法人久米国鼎会
12月11日都ホテルの会場
平成28年公開文化講座
一部 基調報告ー久米村をめぐる問題
①古琉球の状況 上里隆史
②近世琉球の状況 田名真之
③官生・人材の状況 前田舟子
二部 討論ー久米村と琉球王国
コーディネーター:高良倉吉
パネリスト:上里隆史 田名真之 前田舟子
①久米村の成立、王国の形成との関係
②久米村の変容、再興と王国の展開
③久米村の内情、久米村の役割
④久米村その後
(質疑応答)
第一部は久米村の成立から近世琉球までを、第二部は一部の報告を受けて4つのテーマと質疑応答。
高良さんは「琉球史を語る上で、久米村の存在と役割は不可欠なテーマであると同時に、琉球史とアジア史が重なり合う検討テーマだ」と指摘した。
田名さんは「中国的な文化の導入は琉球王国が久米村に期待し、求めたものである。シーミーをはじめ、中国的な風習が琉球に持ち込まれた」など説明。一方で、琉球処分によって明治政府が琉球を日本に取り込んだことで「久米村の人たちは、中国人の祖先と言いづらい状態だった。そのため、久米村のさまざまな伝統が失われた」と解説し、今後のさらなる研究がの必要性を訴えた。
上里さんは、南西諸島の「港」という視点から、港湾都市那覇と久米村の成立を紹介。
前田さんは、中国に派遣された琉球の国費留学生(官生)について紹介した上で、琉球王国時代の官生の存在意義や人材育成について語った。
最後に一言という高良さんにこたえて、田名さんの発言が印象に残った。
「例えば、空手でいう首里手とか色々な流派があるが久米村が琉球国崩壊と共に明治政府による歴史上から抹殺されていく訳だけど、我々ウチナンチューもそれに加担して来た訳だ。本来、空手を伝えたのは久米村な訳だからその手が残っていないのはどうした訳なのか、王国時代の様々な儀式に使われた音楽がどんなものなのかも解らない。久米村の抹殺は沖縄にとって大きな損出と言える」とパネリストがその様な趣旨で発言をした。
この文化講座のレポートを今年中か来年早々にまとめるとのこと是非、読んでみたいと思った。
現代につづく沖縄のアイデンティに深くかかわっているのがこの久米村だからだ。
Posted by 高橋進 at 22:41│Comments(0)
│講演会