2012年07月21日

自伝 安藤忠雄を読む

a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%BF%A0%E9%9B%84" target="_blank">安藤忠雄自伝を読む。NHK教育「仕事学のすすめ」の安藤忠雄の建築物やその発言に興味をもった。今まで断片的にメディアによって伝えられる安藤忠雄とはどんな人物なのか知る手がかりのような著作物であった。
自伝 安藤忠雄を読む


この本を読もうと思ったのは2点の疑問があったからだ。まず、1点目は高校の時、父とこんな対話をしたことを覚ている。「鉄筋コンクリートの建物は、東京でも他の地域でも同じような物が建っているのだけど、その地域独特の建築様式がある。しかし、鉄筋コンクリートの建築物はどこも同じというのは、何かおかしいのではないか」と父に尋ねたことがある。父は何と返答をしたか覚えていないが、記憶に残る父は微笑んで言葉に出さなかったが「そうだね」とうなずいた気がする。

話は脱線するのだが、父は戦後、、新宿で肉屋を開業した。この肉屋は今でも新宿アルテの裏あたりにあるのだが、配達の際にGHQのジープにひき逃げされて、大久保病院に担ぎ込まれた。父は全身を強く打ちおそらく、ギブスで身体を固定されて、天井を見続ける。天井の天板の穴を幾度となく数えたようだ。母の話では、身体が動かないせいもあったのだが、非常にイライラして物を投げつけたりどなったりしていたと話していた。健康保険もまだ無い時代で、結局この肉屋を手放し治療費に充てたようだ。無一文になった父はその後、日銭を稼ぐ為に建設の仕事をすることになるのだが、その建設分野の一つの鉄筋工として生計を立てることになる。幼い頃、よく父の働く現場に行き、一輪車で鉄筋のループを運んだりして本人(自分)は手伝いのつもりだったのだが、どうも今から思うと邪魔をしていたのではないかと思う。小学校に行く前の幼い自分に父はお駄賃としてお小遣いをくれた。今でも鮮明に覚えているのは、鉄筋で建物の基礎が終わり後はコンクリートを流し込むだけの時に雨が降り始め、夜の裸電球に照らされた鉄筋で作られた基礎の美しさだった。秩序よく並んだ幾何学的な造形に見とれている幼い自分がいた。

父に質問した「その地域独特の建築様式がある。しかし、鉄筋コンクリートの建築物はどこも同じというのは、何かおかしいのではないか」という答えがこの建築家の著書にあるのではないかと思ったからだ。1972年18歳で沖縄に来てそのまま住みついてしまった自分は、同じ疑問を沖縄で強く意識することになる。復帰したころの沖縄(那覇)は、緑の少ない白いコンクリート造りの家やビルが立ち並んでいる埃っぽい乱雑な街との印象が強くあり、東京の郊外の深大寺の近くで小学校から高校まで暮らした自分にとって、この沖縄の強い日差しに照り返す白いコンクリート造の建物と緑の少なさに違和感を感じたのだ。

安藤忠雄の自伝の中で、彼の設計をしたフェスティバルビル、現在のOPAが紹介されていた。丁度、フェスティバルビルがオープンした時、僕は沖縄三越の裏手の駐車場を改造したファッションビルマキシーの販促イベントを企画・実施する業務をしていた。フェスティバルビルのオープンは、沖縄の若者のファッションの発信拠点が一つ増えたことになった。フェスティバルビルの構造は安藤忠雄の得意とするビルの中心を吹き抜けにすることと、いたるところに花ブロックが多様されている。直射日光を防ぎ、室内にこもる熱気を風を使って外に排気するといったことで、吹き抜けと花ブロックが使われた。花ブロックは沖縄の代表的建築様式ともいえるのだが、ビルの中にあって、雨が降ると傘をささないとショッピングが出来ないといったことが後に問題となり、屋上に可変式のテントを張るなどして安藤忠雄が意図した目論みとは異なる結果となった。

さて、父に質問した件なのだが、安藤忠雄の自伝のを読みながら答えを捜し続けた。

自伝そのものは、共感できる点も多々あったのだがその答えを得ることが出来なかった。安藤忠雄を設計をした建物一つひとつには、魅力を感じたのだが、父に対しての質問の解は得られなかった。そして、沖縄に住みはじめてから40年もの間、違和感が消えることのないもう一つの疑問は、都市としての那覇(沖縄・琉球)とは何かということだ。

その答えが現在の那覇新都心であるとすればあまりにも悲しい。県立美術館・博物館の琉球の城壁をデザインしたというのだが、琉球の城壁は曲線でが多様されている。首里城の城壁ではちょうど角にあたる部分には、波頭のようなデザインが施されている。城壁そのものが波打っているのである。海洋王国であった琉球のデザインは海そのものに強い影響を受けていると想像される。どうして、この様な造形を組み入れなかったのか疑問なのだが、それ以上に、県立美術館・博物館の向かい側にパチンコ屋やGMSが立ち並ぶ都市景観に誰も疑問を持つものがいなかったのかと思うのだ。

安藤忠雄の自伝は、自分の疑問に対する解はなかったが、コンクリートの可能性以上に東京の夢の島(ゴミ処理場)の緑化に関して共感する。

仮に、那覇新都心に緑の回廊を意図した設計が施されていればと思う。
琉球在来種の小動物の行き来を可能たらしめる緑の回廊を末吉公園や首里城公園に繋げる。
沖縄固有の植物による緑の回廊。

基地返還後の都市計画には100年後の世代に耐えうる都市計画を望みたい。



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Posted by 高橋進 at 12:44│Comments(0)書籍
 
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