2016年06月07日

仕事が夢と感動にあふれる5つの物語

ドリプラ沖縄2016の発表会場の浦添てだこ大ホールでの7人のプレゼン
を聞いて、夢を見続けることの素晴らしさを改めて学んだ。

番組に一人ひとり呼んで、会場で発表したお話と、例えば6カ月後
その夢にどの位近づいたかをお聞きするというのはどうかと白井さんに
お話したところOKをいただきました。12月頃かな?!

あのイベント以来「夢」とは何かを考えさせられました。そういえば5年前に
買った本が本棚にあることに気がつき、もう一度読んでみました。

本の冒頭にある中学校に講演に行った時のエピソードが書かれている。

こどもたちにどんな夢があるかを書いてもらったところ、そこに書いてあった
ことは、「駅前でティィシュを配りたい」「スーパーのレジが打ちたい」「共稼ぎの夫婦が夢」
「ん、これ夢か?」と正直はじめは思いました。<中略>
あげくの果てには、「猫になりたい」。
私は、夢であふれた大人という前提で、夢を語りに来ているのに、

いつの間に、ティッシュ配る仕事は夢ではないと思うようになったのか?
スーパーのレジが打つ仕事は夢ではないと思うようになったのか?
猫になれない!と思うようになったのか

私は、ただなんとなく猫にはなれないと思い込んでいたのです。
しかし「なれると思っている子ども」と「なれないと思っている私」
どちらが夢があるか?と単純に考えれば、それは、まちがいなく
子どもたちの方だと思ったのです。
その瞬間「夢がないのは、私だ!」
と大変衝撃をうけました。
<中略>
1人の先生がとてもすばらしいことを言ってくださいました。
「子どもたちは、笑顔で生きている大人を見ると、その人がやっていることを
夢にするんですよ。ですから、駅前で、笑顔でティッシュを配っている人がいた
のではないでしょうか?きっよ笑顔でスーパーのレジを打っている人がいたの
ではないでしょうか?両親が共働きだけど笑顔なので、共稼ぎをすると、笑顔
になれるんだと思っているのではないでしょうか」

つまり、子どもたちが見ているのは、職業の種類でも、仕事の中身でもなくて、
そこに関わっている大人たちの姿なのです。

子どもたちは身近な大人がどのように生きているのかを見て、夢を持ち、その夢
を叶えるたまに努力をはじめるのです。

本からの引用はここまでにいたします。
夢を特別なものだと思ってたのは自分だったと気がつかされました。
夢に大きさ、小さいは関係ありせん。それまで夢と思っていなかったこと、
目の前にあることをワクワクする自分の夢にすとこともできるのです。
「今日一日笑顔で過ごそう」とか。
玄関の靴をそろえる」とか・・・。

仕事が夢と感動にあふれる5つの物語
仕事が夢と感動にあるれる
5つの物語


タグ :福島正伸

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この記事へのコメント
高橋さん♪
fmたまん&FMぎのわんの相互乗り入れの件
もう少し解りやすくお願いいたします。
宜しくお願いいたします。
Posted by 沖縄の家庭教育の母 伊禮典子 沖縄の家庭教育の母 伊禮典子 at 2016年06月08日 10:52
 
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