2012年01月16日

海人(うみんちゅー)Tシャツから全てが始った 白川弘

海人(うみんちゅー)Tシャツから全てが始った 白川弘

 
海人Tシャツについて語る。白川弘氏


海人Tシャツをご存知の方も多いと思う。「海人」と書いて「ウミンチュー」と読ませるのですが、今や、ウチナンチューで「海人」と書いて何と読むかと聞けば、ほとんどの方は「ウミンチュー」と答える。漢字で「海人」というTシャツを創作したのが、白川さんなのだ。2012年の1月14日(土)のビタミンFMのゲストは、海人工房の創業者の白川弘さんをお招きしての1時間。

白川さんは、石垣で20代の時、コンポステレオや再生専用のビデオレコーダーの販売やビデオレンタルの会社をやっており、大成功を収めた。当時、石垣でムスタング(米国フォード社)を乗りましていたのは、白川さんだけだったほどだ。

1ヶ月に模合では、300万円程の資金を回わしていた。その当時の沖縄では金融システムというのが未発達で、企業経営者は資金調達をその模合で行なっていた。模合の配当だけで、充分な程の資金が手元に入って来た。しかし、そもそも模合とは、貧しい島の暮らしの中で助け合いといった側面を一面があるのだが、この時期、石垣だけではなく、沖縄本島各地で、高額の模合が崩れ。集めた資金を持ち逃げするような事態が多くみられた。

白川さんも模合の持ち逃げにあい。多額の負債をもってしまい。会社は倒産。信頼して運用を任していた人に裏切られるという事態は、20代の白川さんにとって、心に大きな傷となり「人を信じられない」という人間不信に長い期間陥った。

石垣のすくちビーチで、ベニヤ板の上に本土の旅人から教えてもらったアクセサリの作り方を元に観光客向けにアクセサリーと自分でプリントしたTシャツを木と木の間に張ったロープにかけて販売をしていた。
朝早くから、本土から来た新婚客がビーチに来て遊ぶ姿を不思議に眺めていた。

その当時のウチナンチューは、海で遊ぶといった感覚はなく、海は危険な場所であり、漁師の海といった感覚しかなかった。3月遊び(浜下り)以外は海とは無縁というのが一般的なウチナンチューの姿であった。
新婚客が楽しそうに海や浜で遊ぶ。その姿を眺めている時に「海人」(ウミンチュー)という言葉が頭に浮かんだ。

はじめは、「海人」は縦文字で書き。ローマ字で「UMINCHU」と書いたのだが、全然売れない。そして、横文字で「海人」と書き同じようにローマ字で発音が解るように表記したが、これも、全然売れない。そして、「海人」の漢字にシャドーを入れて立体感が出るようにしたらようやく売れ始めた。

売れるまで17年間かかったことになる。Tシャツの素材にこだわり、洗濯をしても型崩れしない高級なTシャツにプリントしたのだが、当時、Tシャツを2,500円で販売をしていた。当時としては高いTシャツだった。

その高いTシャツを石垣に旅に来たバックパッカーが店を捜して買いに来た。そのバックパッカーが日本中を旅し、「海人」Tシャツを着ている事で、多くの友人が出来るという話をしていた。漢字のプリントは珍しく、まして、石垣でしか売られていない「海人」Tシャツは、いつの間にか全国のバックパッカーによって日本中に知れ渡った。

20年前石垣で桟橋通りと通称3号線の角に店舗兼工場を作った。地元の高校生がクラス全員で着る「海人」Tシャツを作りたいと店に訪ねて来た。「海人」という漢字が可愛いというのだ。作った本人には、どこが可愛いか解らないのだが、高校生ということもあり、2,500円の販売価格をおまけして安く販売したところ、その高校生の親の世代が、「海人」Tシャツを着るようになってきた。石垣の多くの人々が「海人」Tシャツを着るようになり、イベントでは、自分の作ったTシャツを着ている人が何人来るかを数えるのが楽しみになった。

石垣は、ダイビングのメッカでもある。ダイビングに来た観光客が「海人」Tシャツは自分達のTシャツであると。自分で着るTシャツ以外にもお土産で10枚も買って行く。その様にして、「海人」Tシャツは石垣で大ブームとなった。他の店もTシャツを販売したいということで、卸販売をするようになった。

卸販売をしている一つの店が那覇空港が新しくなるのを機会に、「海人」Tシャツを空港で販売したいとの事で、石垣から那覇に工場を移転した。「海人」の発祥地である糸満市に15,000坪の土地の購入を予定して
施設の見取り図や建物の設計などを進めていた矢先に、9.11テロが米国で起きた。

観光客は急激に減り、拡大の一途だった事業もこの9.11テロによって頓挫する事になる。沖縄に観光客が戻ってきたのは、2~3年間の歳月を要した。

糸満市のマブニに作る予定でいた15,000坪の施設を諦めて、現在のうるま市にある工場に移転をした。

海人(うみんちゅー)Tシャツから全てが始った 白川弘

白川夫婦 還暦を迎えるにあたって石垣に居た奥さんを那覇に呼び寄せて一緒に事業を展開をしている。


最後に番組をお聞きしているリスナーの方に「海人」Tシャツが成功した理由を一言でお願い致します。

「諦めない事です。諦めないことは失敗をしたことにならない。成功するまで諦めない事。そして、常に工夫を加えベストなものを提供することではないかな。」と。

来週は、白川さんが現在取り組んでいる塗料の研究開発などのお話をお聞きいたします。

来週は番組でお掛けしました。ミヤギマモルのCD「海人の風」を3名リスナープレゼントを致しますので楽しみにして下さい。

インターネットでスティッカムで放送をしています。生放送を聞けない方には、スティッカムでお聞き下さい。
インターネットでは音楽が聴けないのですが、CDのプレゼントの応募は下記にて募集しています。

ブログの感想などをお書きの上、応募下さい。

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Posted by 高橋進 at 12:23│Comments(0)ビタミンFM
 
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