2012年01月19日

阪神淡路大震災後神戸・元町バザーで17年前ネクタイを買う。

阪神淡路大震災後神戸・元町バザーで17年前ネクタイを買う。17年前の1月18日に阪神淡路大震災が発生をした。その2ヶ月後に神戸に1ヶ月滞在して、被災のどん底から神戸の街が復興する姿を見続けた。その間、ようやく復旧したJRに乗り大阪・難波のホテルで打合せがあり、ホテルの一階のロビーの喫茶はその盛況ぶりに驚いた。神戸から大阪に向かう際に幾つかの川を渡るのだが、神戸から大阪に近づくにつれ、町並みが変化していく。川を越えるたびに、無傷の家が増えていく。ブルーシートで屋根を覆って急場をしのいでいる家々が川を越えるたびに少なくなってくるのだ。

神戸から大阪に通勤する女性はスニーカーを履いて、リックを背負っている。まだ、街のいたるところに瓦礫が覆い、そこを歩く為にはヒールではなくってスニーカーが便利なのだ。

難波では神戸の街が瓦礫と化したことを一切感じさせない賑わいと華やかさが広がっていた。当然なのだがそこは、商都大阪の日常があった。

僕は、神戸の復興に何が出来るかを考えていた。そして、神戸の地域を愛する人々の動きを追った。その一つが書店を経営していた人が呼びかけて、神戸出身の文化人や神戸を愛する文化人のメッセージを被災した神戸の人々の希望を託す本の出版だった。その本の売り上げを被災者に寄付するといったプロジェクトと楽器を失った音楽家に楽器を提供していただくプロジェクトに出会いだった。

「創造的復興」といった方針の中で、経済成長や都市再生を急ぎ、防災都市神戸が誕生した。しかし、この震災復興の中で失ったものは、それぞれの心の中に残る神戸の街の思い出だ。

この街で生き、この街育ち、この街で恋をして、この街の喫茶店で愛を語り、あの街角でキスをした。そんな一人ひとりの思い出の街「神戸」が防災都市として生まれ変わった姿に、何か置き去りにした思いをするのは僕だけではあるまい。人と街、街と暮らしを考える際にそこが育んだ景観の大切さを失ってから気づく。人間の情緒といったものが無視されている。東日本震災復興という掛け声の中に、そこに暮らす、それぞれの想いをどこまで寄り添って再建していくか。復興をとげた「神戸」の街を歩きながら思うのである。

神戸から沖縄に帰る前日に、再開しつつあった元町商店街の一角に「元町バザー」というネクタイ専門の店があった。日頃、ネクタイをして仕事をすることはあまりないのだが、何故かその店にふらっと入り、ネクタイを1本購入した。その店で店主の女性と何気ない会話の中に「今はこうして店に出て接客をしているが地震の時は、死を覚悟した。」と。その恐怖。被災し今を生きる人々の胸の中に大きく開いた心の空洞。今、思い起こすと、その店主との会話の中で、一瞬、寂しそうな顔に、一瞬かげりが見えたというのは、心の空洞の闇の深さをかいま見たからだたのか。

6434人の犠牲者と住宅被害約64万棟。ライフラインの寸断。阪神淡路大震災から17年が過ぎた。

僕は17年前に神戸・元町バザーで1本のネクタイを購入した。





 
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