2012年04月11日
32年前に彗星のように輝いた「究極」を語るⅡ
4月7日(土)の糸満CFM「ビタミンFM」は、究極のJinとあつおの二人を招いての2週目です。
M1)プロローグ~六月の雨
♪高橋と究極の出会い♪
あつお・・・フォークメイツに酔っ払ってトロピカルギルドの高橋さんが現れた。歌わせろといって
ブルースを歌ったのです。
高橋・・・えー!?僕が歌ったのですか。
あつお・・・久米仙のボトルを取って飲んでました。その時に究極のメンバーにリクエストをしたのが
「何とかなれ:だったと思います。究極のメンバーにデビューすると言ったことを今でも
よく覚えています。
高橋・・・先週の話ですと、究極はサウンド・イズ・コークでグランプリーを取った後、解散したと
と言っていたのですが、なぜ、僕がフォークメイツで究極と出合うのでしょうか。
あつお・・・その件は僕から説明します。フォークメイツにJinのお兄さんと一緒に摩天楼というグループ
で出演していました。古井戸の影響を強く受けたグループだった。
その話摩天楼の活動を垣花繁夫が友達から聞いていたそうです。繁夫は繁夫でソロで活動
をしていました。しかし、限界を感じていたのではないか。「六月の雨」を歌うのに、
イントロもない。繁夫の方からJinにもう一度やらないかと声を掛けた。
Jin・・・そうですね。再結成というわけではないのですが、究極のフアンの方から「六月の雨」を
聞きたいよ。といった声に応えることで、その日、偶然に究極のライブをやっていたという
ことなのです。
あつお・・・そこに酔っ払った高橋さんがやってきた。
究極の再結成の時に偶然に高橋さんがやってきた。僕はすごく縁を感じるのです。
全ては偶然だったのですが、偶然ではなかった。高橋さんと出会わなければ、その
後の究極はない訳ですから。
高橋・・・僕はタイムスに沖縄POPの源流というようなことを書いてくれと言われたことがあった
のですが、そのルーツは究極ではないかと思ったのです。ある時期、沖縄音楽がブレーク
していく。喜納昌吉とか知名定夫とか、復帰後の沖縄POPの第一期黄金時代だったような
気がします。丁度、究極がデビューした時には、そのブームもさり、長渕剛がギター1本
からバンクバンドと一緒に活動し始めた。その時期に究極がデビューする訳です。
喜納昌吉の「花」がブレークするには、ブラッドラインから何年も経ってからだった。
M2)あんたとあたいのバラード
高橋・・・次にかける曲が「君の町で」なのですが、Jinの歌とは対極にある歌ですね。
あつお・・・当時の繁夫の曲では一番好きな曲の一つなのです。
M3)君の町で
♪2002年バラードを究極で発売する♪
高橋・・・本当にさわやかな曲です。80年に究極のラストコンサートをモルビーでやった後に
再々結成をするのですが。
あつお・・・Jinは東京で、繁夫は名古屋で仕事をしていたのですが、Jinが東京から帰ってきて、
繁夫も名古屋から帰ってきた。そこで、一夜限りのライブをモッズで開くことにした
のです。このライブはモッズのライブ史上3本の指に数えられるライブとまで言わしめた
程でした。
繁夫の活動を応援しようということで、繁夫がCDを作りたいのであれば作ろうという
ことになった。
Jin・・・2002年にCDの作成を始めるのです。僕がシーケンスプログラムをやっていたので、その
シーケンスでカラオケを作った。アコーステックギターの間奏が必要だというので、僕が
アコーステックを弾き、コーラスが必要だということで僕がコーラスを入れる。必然的に
僕が最後まで音を作っていくわけですから、出来上がった音は紛れもなく究極そのもの
だったのです。
あつお・・・繁夫は「君をいつまでも~卒業~」を入れたい訳ですよ。コーラスを入れたり、
アコースティックギターで間奏を入れたりしていく訳なのでJinが言っていたように
必然的に究極のサウンドになっていくわけです。
JIN・・・「バラード」というアルバムは究極ということで発売することにしたのです。
あつお・・・その時、ライナーノーツを書いてくれと言われたので喜んで書きますと引き受け
ました。先週も言ったように僕は究極の大フアンであり、おっかけですから。
高橋・・・2002年というと東芝EMIでデビューしてから22年間が過ぎた訳ですね。当時高校を
卒業したばかりの究極が22年後に「バラード」を発売する。そのバラードから1曲
22年間が過ぎ、大人になった究極のサウンドということで「流れ落ちる夜に」を
お聞き下さい。
M4)流れ落ちる夜に
高橋・・・2週間に渡って究極のJinとFMたまんで10年間フォークの番組「たまたまフォーク」の
パーソナリティーを担当したあつおを迎えてお送りいたしました。2週間ありがとう
ございました。
M1)プロローグ~六月の雨
♪高橋と究極の出会い♪
あつお・・・フォークメイツに酔っ払ってトロピカルギルドの高橋さんが現れた。歌わせろといって
ブルースを歌ったのです。
高橋・・・えー!?僕が歌ったのですか。
あつお・・・久米仙のボトルを取って飲んでました。その時に究極のメンバーにリクエストをしたのが
「何とかなれ:だったと思います。究極のメンバーにデビューすると言ったことを今でも
よく覚えています。
高橋・・・先週の話ですと、究極はサウンド・イズ・コークでグランプリーを取った後、解散したと
と言っていたのですが、なぜ、僕がフォークメイツで究極と出合うのでしょうか。
あつお・・・その件は僕から説明します。フォークメイツにJinのお兄さんと一緒に摩天楼というグループ
で出演していました。古井戸の影響を強く受けたグループだった。
その話摩天楼の活動を垣花繁夫が友達から聞いていたそうです。繁夫は繁夫でソロで活動
をしていました。しかし、限界を感じていたのではないか。「六月の雨」を歌うのに、
イントロもない。繁夫の方からJinにもう一度やらないかと声を掛けた。
Jin・・・そうですね。再結成というわけではないのですが、究極のフアンの方から「六月の雨」を
聞きたいよ。といった声に応えることで、その日、偶然に究極のライブをやっていたという
ことなのです。
あつお・・・そこに酔っ払った高橋さんがやってきた。
究極の再結成の時に偶然に高橋さんがやってきた。僕はすごく縁を感じるのです。
全ては偶然だったのですが、偶然ではなかった。高橋さんと出会わなければ、その
後の究極はない訳ですから。
高橋・・・僕はタイムスに沖縄POPの源流というようなことを書いてくれと言われたことがあった
のですが、そのルーツは究極ではないかと思ったのです。ある時期、沖縄音楽がブレーク
していく。喜納昌吉とか知名定夫とか、復帰後の沖縄POPの第一期黄金時代だったような
気がします。丁度、究極がデビューした時には、そのブームもさり、長渕剛がギター1本
からバンクバンドと一緒に活動し始めた。その時期に究極がデビューする訳です。
喜納昌吉の「花」がブレークするには、ブラッドラインから何年も経ってからだった。
M2)あんたとあたいのバラード
高橋・・・次にかける曲が「君の町で」なのですが、Jinの歌とは対極にある歌ですね。
あつお・・・当時の繁夫の曲では一番好きな曲の一つなのです。
M3)君の町で
♪2002年バラードを究極で発売する♪
高橋・・・本当にさわやかな曲です。80年に究極のラストコンサートをモルビーでやった後に
再々結成をするのですが。
あつお・・・Jinは東京で、繁夫は名古屋で仕事をしていたのですが、Jinが東京から帰ってきて、
繁夫も名古屋から帰ってきた。そこで、一夜限りのライブをモッズで開くことにした
のです。このライブはモッズのライブ史上3本の指に数えられるライブとまで言わしめた
程でした。
繁夫の活動を応援しようということで、繁夫がCDを作りたいのであれば作ろうという
ことになった。
Jin・・・2002年にCDの作成を始めるのです。僕がシーケンスプログラムをやっていたので、その
シーケンスでカラオケを作った。アコーステックギターの間奏が必要だというので、僕が
アコーステックを弾き、コーラスが必要だということで僕がコーラスを入れる。必然的に
僕が最後まで音を作っていくわけですから、出来上がった音は紛れもなく究極そのもの
だったのです。
あつお・・・繁夫は「君をいつまでも~卒業~」を入れたい訳ですよ。コーラスを入れたり、
アコースティックギターで間奏を入れたりしていく訳なのでJinが言っていたように
必然的に究極のサウンドになっていくわけです。
JIN・・・「バラード」というアルバムは究極ということで発売することにしたのです。
あつお・・・その時、ライナーノーツを書いてくれと言われたので喜んで書きますと引き受け
ました。先週も言ったように僕は究極の大フアンであり、おっかけですから。
高橋・・・2002年というと東芝EMIでデビューしてから22年間が過ぎた訳ですね。当時高校を
卒業したばかりの究極が22年後に「バラード」を発売する。そのバラードから1曲
22年間が過ぎ、大人になった究極のサウンドということで「流れ落ちる夜に」を
お聞き下さい。
M4)流れ落ちる夜に
高橋・・・2週間に渡って究極のJinとFMたまんで10年間フォークの番組「たまたまフォーク」の
パーソナリティーを担当したあつおを迎えてお送りいたしました。2週間ありがとう
ございました。
Posted by 高橋進 at 10:10│Comments(0)
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