2016年06月16日

60歳過ぎて論語を学ぶ 2  「40歳で下される自分の評価」

ここ数日、PCがインターネットにつながらないので、タブレットでブログを書き始めたのだが途中であきらめた。
キィーボードを使って、ものごとを考えるようになって何年になるかと考えた。ワープロからPCに変わってモグラ叩きのようなソフトでブライドタッチの練習をしたのはマックのフォーマーといPCを買ってからだった。その時、主催していた「座間味村産業振興ゆんたく会」の議事録をこのマックで書き、プリントアウトしてFAXで各人に送るといった何とアナグロの通信手段をやっていた訳だ。、当時業務用のFAXではなく、今の住宅用のようなFAXだったので、会議に十数に参加していたら、十ページを超える議事録を扉の文章を表紙にして各自に送った。
1日仕事になってしまったこともあった。

それを考えるとインタネットの出現はこの作業をものの数秒でやってしまう訳だから技術革新の流れはすごいことになっていると改めて思うのである。それと、通信費が当時平均5万円であったことを考えると、PC、タブレット、携帯、固定FAX全部入れて一万2千円ぐらいということは、通信費のコストが5分の1ですんでいることになる。

昨日、インターネットに接続しないので、PCを復旧するのに試行錯誤をしてようやく接続した。

あの東京都知事も自らの辞職をということで昨夜のTVと今日のワイドショーではかっこうの話題で、どの局もこのニュースを流している。
さて、60歳過ぎての論語を学ぶの第一段が「東京都知事にもの申す」だったので、第二段もこの路線でと考えたのだが突然の辞職なのでちょっと切り口を変えたい。
60歳過ぎて論語を学ぶ 2  「40歳で下される自分の評価」

なぜ、60歳過ぎて論語を学ぶというテーマにしたかというと、論語の中で自分の生き方は四十までに確立させるという教えがある。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。と。僕の場合、60歳過ぎても惑わされて軸がぶれっぱなしな訳で、本来、このテーマはこの歳では恥ずべきことの一つとしてあえて自らを戒める為にこのテーマとしました。

吾(われ)十有(ゆう)五にして学に志す。
三十にして立つ。四十にして惑(まど)わず。
五十にして天命をしる。
六十にして耳順(みみしたが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)をこえず。


《訳》わたしは十五歳で学問に志し、三十歳で志しを立て、四十歳で迷いがなくなり、五十歳で天命ををわきまえるようになった。
六十歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、七十歳で思うままふるまっても道を外れないようになった。

孔子が自分の生涯を振り返って語った世界一短い自伝と言われている。
二十代・三十代でこの言葉に出合っていたらと思う。二十代・三十代にできるだけタフな経験を積み、成長の土台を固めるべきであろう。その積み重ねが、四十代以降にその人が達する人物レベルを決める。人物は一朝一夕で形成されるものではではないこを肝に銘じておこう。



タグ :論語孔子

同じカテゴリー(論語)の記事

Posted by 高橋進 at 10:38│Comments(1)論語
この記事へのコメント
高橋さん♪
私も40代の時に論語に出会いましたが・・・
忘れていました。
また改めて心に刻みたいとおもいます。
ありがとうございます♪
Posted by 沖縄の家庭教育の母 伊禮典子 沖縄の家庭教育の母 伊禮典子 at 2016年06月19日 11:22
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。