2012年03月07日

復興へ意志継ぐ 岩手・沖縄かけはし交流協会

復興へ意志継ぐ 岩手・沖縄かけはし交流協会 前会長に誓う
復興へ意志継ぐ 岩手・沖縄かけはし交流協会

岩手・沖縄かけはし交流協会前会長の高橋洋介さん
の写真を前に、沖縄との末永い交流を誓った
福岡勝夫会長(左)と工藤純一事務局長
=1日夕、岩手県盛岡市
転載

【岩手県で新垣毅】1993年から沖縄と交流してきた岩手・沖縄かけはし交流協会。震災後の交流活動を通じて、岩手県内の被災者支援に取り組んできた。その最中、前会長の高橋洋介さんが他界。遺志を受け継ぐ福岡勝夫会長と工藤純一事務局長は、沖縄県関係者の安否確認や被災者支援に奔走した一年を振り返り「沖縄との関係がまた一段と近くなった」と沖縄との末永い交流を誓う。
 沖縄から岩手・沖縄かけはし交流協会を通しての支援は、震災直後の昨年4月、沖縄県黒砂糖工業会が黒糖2トンの支援物資を届け、同協会が7市町村、5団体、8避難所、5個人に配送したほか、八重山電工主催のチャリティーコンサート、八重山高校の教師やPTAによる避難所での炊き出しボランティア、多くの団体からの義援金贈呈など多数に上る。
 岩手側からも石垣島まつりや石垣島マラソンに参加するなど交流が盛んだ。
 前会長の高橋さん(元岩手県副知事)は昨年4月中旬、医療機関の検査でがんが発見されたが周囲に告げず、5月に那覇市で開かれた琉球新報社主催「被災地支援フォーラム」に登壇者として参加し、岩手への継続支援を訴えた。公の仕事としてはそれを最後に8月に亡くなった。
 福岡会長は「いろんなご支援をいただき、沖縄の良さ、熱い気持ちを見て本当に感謝している」と謝意を述べるとともに、「沖縄との交流を大事にする高橋さんの遺志を受け継ぐ」と強い決意を語った。
 岩手・沖縄かけはし交流協会は、93年の大冷害で種もみが不足した岩手を、石垣での増殖によって支援したことをきっかけに発足。石垣島マラソンなどを通して毎年交流を続けてきた。昨年の震災時は、岩手に沖縄県人会がない代わりに、同協会が沖縄県出身者の安否確認などに奔走した。


琉球新報の関連記事の中に1月21日高橋洋介氏の奥さんが来沖して、在住沖縄岩手県人界(美らめんこい会)との交流という記事があった。併せて紹介したい。

沖縄・岩手の“かけはし”しのぶ 故高橋さんの妻が来県、関係者と交流
転載
1993年に種もみ不足に見舞われた岩手県に種もみを送ろうと石垣島で行われた「水稲種もみ緊急増殖事業」に岩手県農政部長として関わり、昨年8月に亡くなった元岩手県副知事の高橋洋介さんの妻ひろ江さん(63)らが来県し、当時の沖縄県農水部の職員らと旧交を温めた。
 昨年3月の東日本大震災の時も、岩手・沖縄かけはし交流協会会長として沖縄との関係を足掛かりに被災者支援に奔走した高橋さん。当時、農水部長だった赤嶺勇さん(72)=前JA沖縄中央会長=は「(高橋さんが亡くなり)寂しくもあるが、久しぶりに岩手の方々と会えてうれしい。今年を沖縄と岩手の交流と新たなスタートにしたい」と話した。
 93年に大冷害に見舞われた岩手県は翌年5月に植える種もみが不足する事態に。高橋さんが考えたのは三期作をしていた沖縄での増殖だった。
 連絡を受けた赤嶺部長は「お米に関しては東北にはお世話になってきた。困っているなら助けになろう」と即断した。
 石垣市で岩手県オリジナル水稲品種の増殖に着手。11万6千キログラムの種子の生産に成功した。
 その後も、高橋さんは沖縄との交流にこだわり、岩手・沖縄かけはし交流協会を設立。石垣島マラソンには毎年、岩手から数十人が参加している。昨年3月11日に発生した東日本大震災では沖縄県関係者の安否確認や沖縄から送られた黒砂糖を被災地に届けるなど、被災者支援にも尽力した。
 県職員で石垣市に出向していた神山光永さん(70)は「思いやりが深い方。沖縄に来れば泡盛を飲み、民謡を歌っていた」と涙ぐみ、「亡くなるまで、ずっとお付き合いをしてきた。この人の輪を今後二重、三重にして行けたら」と話した。ひろ江さんは「沖縄は第二のふるさと。これからも毎年訪れたい」と話した。






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