2012年06月14日

国民の安全の為に原発を再稼動する?!

雨の降ったを除いて、毎日夜に1時間程首里高校の野球部のグランドを1時間位歩いているのだが、その際にアイフォーンでインターネットラジオを聞いていたのだが、野田首相が「国民の安全の為に原発を再稼動させる」と発言をし、地元知事もその発言に対して再稼動に向けた動きを加速すると見られるとニュースは伝えていた。

えぇー!国民の安全の為い原発を再稼動する?冗談だろうと思って次の日に新聞を読んで驚いた。ドイツに居る友人からメールが届いていて、ドイツ人はジョークだと思ったと、フクシマの放射線漏れも終息したといえない段階で、原発の再稼動が国民の安全の為というのはどういうことなのか考えた。

内田樹は言う
「政府はその恐怖を鎮静させるために、いったいこれまでにどれだけのことをしたのか。
事故についての政府や東電の証言は食い違い、事故がなぜ起きて、なぜこれほどの規模の災禍にまで拡がったのか、システムにどのような瑕疵があり、どのような人為的ミスがあったのかについて、価値中立的な調査結果はいまだに明らかにされていない。
これは原発にとっても決してよいことではない。
というのは、官邸と東電が、「想定外の事態」によって「起こるはずのなかったことが起きた」ので、誰も責任でもないというロジックで話を打ち切るつもりであるなら、これから先も同種の事故が起こる確率はあきらかに高まるからである。
人間というのは、「手抜き」をして失敗をしたときに、それは「想定外の事態のためで、いかなる人為的ミスもかかわっていない」という弁明を採用すると、その後も引き続き同じ「手抜き」を続けることを宿命づけられる。
「手抜きのせいで起きた事故ではなかった」と言い張っている以上、もし「手抜き」を反省し、改善してしまえば、事故と「手抜き」の因果関係を認めることになるからである。
私たちに罪はないと言い続けるためには、意地でも「手抜き」を続けるしかない。
日本の原発は今そのような呪縛のうちにある。
福島原発事故について「あれでよかったのだ。われわれは安全操業のためにベストを尽くしたのだ」という電力会社や経産省の言い分を認めて、これを免責することはできる。
たぶん、政府はそうするつもりであろう。
だが、それは代償として、これから先、「われわれは安全操業のためにベストを尽くした」という言明が無意味になるということを意味している。
「安全操業のためにベストを尽くした」が「事故は起きた」。」

想定外と手抜きの不具合が露呈している。


タグ :内田樹

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Posted by 高橋進 at 10:22│Comments(0)脱原発
 
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